仙台市の六郷小学校の避難所 山元町の中浜小学校
南相馬市の西町のまごころセンター避難所(医師によるミニコンサートが開かれていました)
2011年4月24日(日)から4月26日(火)まで、チームフローさんの「こころのケア」の視察とセッションに同行させていただきました。
大船渡から宮城県南部の沿岸部、南相馬をチームフローさん・メックス各3名ずつ計6名で回ってきました。
大船渡、陸前高田の避難所では、サポート側(行政や関わっている施設など)の対応がしっかりとしていました。
私は今まで宮城の県南沿岸部の避難所を中心に回っていて、サポート側の対応があんまりにもこの対応はどうか、
と思ってしまう所ばかりだったので、同じように地震と津波で壊滅的な被害を受けてこんなに違うものかと驚きました。
大船渡、陸前高田の避難所で生活されているかたからお話を聞かせていただくと、
3月11日の地震や津波のこと
家族や知り合いのこと
避難所での生活のこと
これからのこと(仮設住宅や仕事、これからの生活など)
などを話してくださるかたが大勢いらっしゃいました。
避難所で生活されているかたは津波で家や大切なひとや物をなくされましたが、コミュニティーができあがり、協力して生活されていました。
物資は行き渡っていて、さまざまなボランティアによる炊き出しやマッサージ、楽器の演奏会などが催されていました。
避難所内はピリピリとした空気などなく、和やかさが感じられました。
ただ、大船渡市の保健師さんや現地からいただいた情報では、自宅が残っているかたは、
電気も水道も行政からの物資もないご自宅で避難生活をされていると聞きました。
どこにだれが住んでいるか把握できていない、物資が行き届いているかわからない、避難所には行政側などの情報があるけれど、
自宅にいる人には届いているかわからない(新聞が届いてないところ、TV・FMの情報を取れない人もいる)
避難所には物資や情報があるけど、自宅避難している人へはそれがない。
せめて気楽に物資や情報を取りに行ける場所があればいいのにと思います。
同じ被災地だけどあるラインを境にしてすべてなくなった人、そうでない人がいて、
それぞれに思いがあって難しさを感じました。
宮城の県南沿岸部では現場の声(洗濯機はあるけど干し場がない、お風呂の回数を増やしてほしいなど)と、
行政の声(全部足りています)が合っていないところが多くありました。
福島の南相馬では、岩手、宮城と比べ、心を閉ざしている避難者が多くいるように感じました。
ここもいつまでいられるのかわからない不安や、家があっても戻れないもどかしさや諦め、また支援の手が少ないのをとても強く感じました。
この3日間いろいろなかたからご協力をいただき、たくさんのかたと繋がっていくことができました。
繋がった輪を大事に、そしてたくさんのかたのために私たちにできることをなにかしていかなければと強く思いました。
これからまだまだ長い道のりです。
力を合わせ共に歩いていきましょう。
(文責はNPOMEX にあり、現時点の情報を異なる場合があります。)